しかし、それがよいのだ。とはおもいながらも、もっとたくさんできたら… と、じれったくて、ついスマートフォンをふたつ使って、猫と赤子のものをそれぞれ一枚ずつ注文してしまう。カメラ日和でレターを紹介することになって、家のあちこちにはりつけていた二年分のをかきあつめて束にしてみたら、文庫本ぐらいの厚さになった。きっと、熱心なファンのひとりではないかとおもう。たいていのものは無限のように手に入る時代なのに、一枚二百円たらずのこのうすっぺらい紙きれは、つぎの月も、そのまたつぎの月も、一枚とか二枚しか手に入らない。「今日から○○月のレターをつくれるようになりました!」というメールのくる、月のはじめがまちどおしくあるのは、それゆえのささやかなじれったさが心地よいからだ。なにごとも足りないぐらいが、ちょうどよいのだね。