太陽は猫をあらう。ひざらしになった猫の、およそいきものとはおもえぬ、ぬいぐるみのような手ざわりと、たっぷりするおひさまのかおりの、なんと馥郁たることよ。

こうばしくてほんのりあまい、あの猫のかおりの正体は、太陽光によって化学分解された被毛のなかの皮脂や細菌だそうだ。だから、シャンプーするなんてもったいない。おいしいスイーツを、洗剤で汚すようなものだ。

とはいえ、おべんじょに失敗して、うんちであちこち汚してしまったときは、やむなく石鹸をする。うんちに失敗するのは、きまって妹で、あいにく、そのうんちだらけのからだで兄とくっついたり、じゃれあったりするから、そういうときは、たいてい二匹いっしょに汚れている。おかげで、手間も二倍。猫の世話のなかでシャンプーほど手を焼くこともない。なるべく、あれはしたくない。年齢とともに、そういう粗相もなくなってしまったが。

さいごに猫をあらったのは、仙台に住んでいたとき。あの大震災のあとの、タイルの剥がれおちたぼろぼろのお風呂場で。蛇口から湯のでる喜びと、ひっかき傷だらけの両腕の痛みにむせびなく私たちをみて、壁の割れたところからまよいこんできたナメクジたちも、さぞや驚いていたことだろう。