旧約聖書のシラ書によれば、生きとし生けるものはみな、なにかの役目をもち、その星のもとに生まれてくるのだそうだ。たとえば、モーツァルトは音楽の星の下に。シェイクスピアは文筆の星の下に。アインシュタインは、いや、ちょっと待って。そのまえに。

私は、これからものすごくいいかげんなことを言うつもりだ。ぜひ、「よし、ここはひとつ、ものすごくいいかげんなことを言われてみようじゃないか。」そんな、貪欲なきもちでお読みいただきたい。話をもどそう。アインシュタインは科学の星の下に。そして彼女は、写る星の下に。

彼女は神出鬼没だ。たったいま一階でごろんとしていたとおもえば、つぎの瞬間には二階でごろんとしている。まるで、そこらじゅうに居るかのようだ。テレポーテーションでもしているのか、あるいは分裂でもしているのか… とにかく、彼女は居るのだ。

それだけではない。カメラあるところに彼女あり。彼女あるところにカメラあり。煮るなり焼くなりコロ助なり。その莫大な体重、いや、重力は、カメラをもついかなる者をも引き寄せる。まるで、ブラックホールのように。かくして、あなたは宇宙の謎に足を踏み入れる。そして、私はいま、かなりいいかげんなことを言った。

彼女のまえではみな、おなじ運命をたどる。私はみてきた。なにかに憑かれたかのように、カメラやスマホを手に家じゅうを狂奔する、かずしれぬものたちを。彼女の莫大な体重、いや、重力にあらがうすべはない。ハイブランドで身を包んだミセスビューティも、岩のような顔をした無口のミスターダンディも、猫も杓子も、そして、あのグーグルさえも。

グーグル。 ─── 世界のすべての情報を収集し整理するのだとして、二十一世紀初頭、ストリートビュー計画を発動する。巨大なカメラを搭載した不気味なビークルで世界をひた走り、地球上のすべての道をひとつの地図にあまねくおさめようというのだ。

さあ、いまキミたちは事象の地平線のはるか彼方にいる。ここでは、われわれの常識は通用しない。つぎに、こうおもうだろう。これは、偶然か必然か。あるいは、奇跡か運命か。

決定論的にいえば、すべての物事に偶然はない。グーグルカーがわが家の目の前を通ったのは、わが家がグーグルカーが通る目の前にあったからだ。しかし、ここを住まいに選んだのは私の意思であり、グーグルカーが目の前を通るその時間きっかりに窓ぎわで午睡を貪っていたのも、彼女の意思だ。すでに、あなたは哲学の世界にも足を踏み入れた。そして、私はまた、いいかげんなことを言った。

ちなみに、私が生まれた星は、いいかげんの星だろう。さもなければ、なまけものの星かもしれない。ひょっとしたら、ニートの星かもしれない。できれば、猫飼いの星でありたいものだが、はて。