書くというのは、まるでスポーツのようです。反復と継続。まずは書きはじめること。つぎに書きつづけること。しばらくさぼってしまうと、あたまのなかにある言葉の蓋のようなものが、ぱたりと閉じてしまうようです。この蓋はとても重くて、そうかんたんに持ちあがらない。そのうえ、いちどネジがゆるむと、またすぐに閉じてしまう。ゆるまないようにするには、書きつづけるしかないのかもしれません。

あれから、四ヶ月になります。ブログもツイッターも、ずいぶんほったらかしにしてしまいました。写真はそのあいだの何枚か。とくになにも起こらないことが巻き起こって止まない、わが家のいつものスリリングな光景です。さて、肩の荷が、というか、腹の荷がおりたところで、リハビリをかねてひさしぶりになにか書いてみます。

ツイッターぐらいなにかしたら?と、よく言われます。でも、ああいうものは、どうしても習慣になりません。暇つぶしにもならない。つい、ほかのことをしちゃう。ミクシィのころから、ずっとそう。こどもをもってからは、いっそう。腹蔵なくいうと、このブログだってそう。それなら、どうして十年も?と、ふしぎにおもう人もいるかもしれません。それが、わらかないんです。じぶんでも、どうしてつづけているのか、わからない。だからこそ、つづけられると言ったら、もっとふしぎにおもうでしょうか。

私にとっては、それほどふしぎなことではありません。わからないからいいんです。歳をとるにつれ、じぶんのなかから、そういうものがどんどん消えていってしまう。だから、わかろうともしないし、わかりたくもない。もうすこしまわりくどく言うと、「やさしさ」なんだよね。─── つづく