猫はサイコロを振らにゃい

ごはんがたっぷりのっかったお皿と彼女を箱にいれ、蓋をとじる。しばらくしたあと、彼女はこの密室のなかで、おなかをぱんぱんにしているか、ぱんぱんにしていないか ───

量子力学のとある解釈によれば… いや、ちょっと待って、そのまえに。これから私はものすごくいいかげんなことを言うつもりだ。ぜひ、「なるほど、ここはひとつ、ものすごくいいかげんなことを言われてみようじゃないか。」そんな、貪欲なきもちでお読みいただきたい。さあ、ぐれみ研究所の最先端猫学のふしぎと怠惰の扉をノックしよう。

彼女のおなかの "ぱんぱんさ" は、箱の蓋をあけ、私たちが彼女のおなかに目をやった瞬間に決定する。もっと言えば、箱のなかでは、おなかがぱんぱんの彼女とぱんぱんでない彼女が重ね合わせに存在している。いま、あなたのあたまのなかも、はてなマークでぱんぱんしているかもしれない。しかし、にゃんこ力学におけるとある解釈は、これに異論を唱えている。

めくるめくこの因果律の世界にあって、彼女のおなかもまた、その法則にきわめて従順でありながら、ときに彼女の空腹の波動は時空をものみこむようなスリルを感じさせる。まるでブラックホールのように。蓋をあけようとあけまいと、彼女がおなかをぱんぱんにしているのは自然的必然であり、宇宙的秩序なのかもしれない。

にゃんこ力学のふしぎと怠惰の世界へようこそ。くっくっくっ。

さて、そこに猫がいるのは、あなたがその猫を観ているからだと言われたら奇妙におもうだろうか。反対に、もし猫を観ていないとしたら、そこに猫はいないかもしれないし、やっぱりいるかもしれない。猫がいる未来と猫がいない未来、あるいは過去も、おなじ時空の箱のなかに浮かぶ面のごとく重ね合わせに存在しているとしたら。そう、サイコロの目のように。

猫とのくらしは、奇妙の連続だ。たったいま一階にいたはずの猫がなぜか二階にいたり、窓辺のひだまりにいたはずの猫がつぎの瞬間には窓の外にいたり、こたつのなかにいたはずの猫がいつのまにか膝のうえにいたり… その様子は、分裂でもしているか、テレポーテーションでもしているかのような、私たちの日常的感覚とは、まるでかけはなれたおどろきをあたえてくれる。

そんな奇妙な猫とのくらしに恋い焦がれる、あなたのすぐうしろにもサイコロをふって奇数の目がでるか、偶数の目がでるかぐらいの確率では、彼らは存在しつづけているかもしれない。にゃんこ力学の世界では、野良猫をおいまわしたり、猫カフェをひやかしたりしなくとも、すでにあなたは二分の一の確率で猫の主なのだ。

人と猫をすこし幸せにする学問 ─── にゃんこ力学のへりくつと超理論の世界へようこそ。ひっひっひっ。