タイムトラベラー

息子はいま起きていることのほとんどを忘れてしまうというのに、僕らは死ぬまで覚えているのだろうとおもうと、すこし不平等。黒歴史が歩いているようなものなのに。幸か不幸か、手軽に写真や動画を残せる時代。あの顔とか、あの踊りとか、こっそり撮りためていますので、あしからず。

ところで、写真や動画を見て懐かしむのは、三歳児もおなじらしい。ほんの一年まえのことも、彼には人生の三分の一なのだから、遠い昔のような感覚があっても不思議ではない。ジャネの法則を思い出す。

言葉のダムが決壊したようによくしゃべる。あふれだす会話の洪水に、こちらは息継ぎをする暇もない。三歳を境に、とりとめのなかった彼の話はずいぶんそれらしくなって、自分の気持ちや考えもはっきりと伝えられるようになった。というより、これまでも言いたいことや言い返したいことが、山ほどあったんだろうなあと思う。

ほんの数ヶ月前まで、息子の時制には「きのう」しか存在しなかった。一日前のことも、一週間前のことも、一ヶ月前のことも「きのう」だった。感覚的には存在していたのかもしれないが、ごちゃまぜに積まれた「きのう」のカードの山から唐突にどれかをひきぬいて、文字どおり、まるで昨日のことのように話し出すので「どのきのう」のことかわからず、よくタイムトラベラーとでも話しているような気分にさせられた。

いまこれを書いていて思ったが、生物進化の数億年という旅路をたったのトツキトオカでやってきたと考えれば、腹のなかにいたころの彼の一日は数百万年にあたるわけだから、本当にタイムトリップしてきたようなものだ。じつは、彼らはタイムトラベラーだったのかもしれないね。