レゴと少年 #3

どれほど小さな部品であっても、そのすべてに何か意味がある。レゴが教えてくれることは多い。豆粒のようなピースを手に取り、息子はその意味に迫ろうとする。どうやら、このエンジンのアセンブリは、車輪の回転にピストンのストロークが連動するらしい。

毎週のようにクリックブリックへ足を運ぶ。大好きなレゴに囲まれ、息子は夢を巡らせ、僕は童心に帰る。ふたりのニーズが一致する、特別な場所というわけだ。三歳になってまもない頃、ショーケースに飾られた青いスーパーカーに彼の目は釘付けになった。

ブガッティ・シロン。レゴテクニックのフラッグシップモデルだそうだ。実車同様、価格にも驚いたが、息子から出た言葉にさらに驚いた。これを作りたい ――― 欲しいではなく。こんなものを作る対象として見ているとは、なんと大胆不敵なやつめ。

大人の練達ビルダーであっても完成に丸一日はかかるそうだから、三歳の少年がいますぐ作れるような代物ではないし、ここで無理とかまだ早いと言ってあきらめさせるのも簡単なことだが、三歳の少年だからこそ、その初めて声に発したであろう夢らしきものを、親の都合で蔑ろにするわけにもいかないだろう。

夢の実現には、計画が必要だ。そして、計画には陰謀がつきもの。彼は、欲しいのではなく、作りたい。僕は、作りたくはないが、欲しい。ここでも、ふたりのニーズは完全に一致してしまったというわけだ。

遊びであれ、学びであれ、子と親が何かを一緒にはじめようという時は、その間柄においてもウィンウィンであることに越したことはないと思う。例えば、親の趣味に付き合わされ、山だの海だのと連れ回されたおかげで、キャンプもバーベキューも大嫌いになってしまった、かつての少年のことを僕はよく知っている。

君はスキー板を車に投げつける必要はない。