こけしのはなし #2

古くは子供たちのおもちゃとして、また、湯治客のてみやげとして親しまれていた、鳴子こけし。高度経済成長期には、大人が鑑賞する蒐集品としてブームが巻き起こります。鳴子地方の一大産業へと発展し、名工の手によるこけしが芸術作品として珍重される一方、名前も知られていない職人たちが、地域産業としての鳴子こけしを支えました。私たちの祖母もそのひとりでした。

猫のこけし

南アジアのどこかのおみやげで、あやしげな猫の置物をもらったことがあります。猫のような形はしているものの、見ようによっては人のようでもあり、背中には羽のようなものまでついている。ほんとうに猫なのかもわからない。いかにも手作りだけれど、作家名やサインは書いてありません。ところどころ、傷んだりしているわりに、埃ひとつかぶっておらず、もはや、新品なのかどうかさえわかりません。つまり、なにもわからない。わかるのは、だれかの手で作られたということだけ。

これはなにかと、おみやげをくれた人に尋ねると、よくわからないと言います。さらに、なぜ買ったのか尋ねると、私が好きそうだからと。あまつさえ、よくわからないものばかり売られている異国のバザールで、極めつけのよくわからないものを探しまわったと聞いて、その人は、よくわかっているなと感心しました。引っ越しのときにまちがって捨ててしまったか、ひょっとしたら、勝手に動きだしてどこかへ行ってしまったのか、いつのまにか、失くなってしまいましたが。けっきょく、あれは猫だったのでしょうか。

要るのか、要らないのか分からないまま、なんとなく買われ、なんとなく飾られ、なんとなく時がすぎ、だれが作ったのかも、どこで手に入れたのかも忘れられ、埃に埋もれ、くらしのなかで、ただ古びていく。そういうものには、なにかふしぎな力でも宿るのでしょうか。しばらくすると、ほんとうの猫が二匹、わが家にやってきました。猫だったのでしょう、あれはたぶん。ほんとうの猫も、ほんとうに猫かどうかあやしいものですし。そういうことにしておきましょう。