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鼻に人参をぶらさげた馬もいれば、尻にうんこをぶらさげた猫もいる。猫とくらすために引っ越したばかりの新築マンションで、コジャレた”にゃんにゃんライフ”に夢を膨らませていた矢先に見た、新米飼い主の悪夢。まっしろい壁に、まっしろい床。まあたらしい家具。しぼりたての乳牛のようにミルキーな空間が、クリーミーなうんこで染めあげられていく様は、シャレにもラテにもならないアートな光景だった。

目次
  1. ウンチングハイ
  2. 髪の毛と干し柿
  3. 尻の一縷
  4. もしも、あなたがわたしなら
  5. 風呂場の馬鹿力
  6. モノがたりは終わらない

ウンチングハイ

ベッドのした、冷蔵庫のうえ、クローゼットのなか。そんな、掃除の手がとどきにくいところのゴミやホコリを、モップのように拭き取ってくれる便利グッズ。またの名を、子猫。ときには、掃除機のように吸い込んでしまうことも。もしも、それが腹によくないものだったら、たいへん。たとえば、糸くず。それに、髪の毛。

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トイレの前後に、突然、興奮して家のなかをとびまわる猫の怪奇現象、トイレハイ。通称”ウンチングハイ”。発情した猫みたいなおたけびをあげたりして、主をおどろかせる。じっさいに、排泄と性欲は密接な関係にあるとも。

フロイトは、幼児期における性欲の発達段階のいくつかのひとつに、肛門との関係を位置づけた。未熟な脳、あるいは動物的な欲求という意味においては、赤ちゃんも猫も似たようなものなのかもしれない。つまり、うんこって快感っ♡ てこと。

フロイトは、幼児期における性欲の発達段階のいくつかのひとつに、肛門との関係を位置づけた。未熟な脳、あるいは動物的な欲求という意味においては、赤ちゃんも猫も似たようなものなのかもしれない。つまり、うんこって快感っ♡ てこと。

あいうえお

その夜、彼女のウンチングハイは、いつにもましてとくべつなものだった。なにしろ、家じゅうころげまわっていたのだから。ときにはキッチンで、ときには床で、ときにはベッドで。うんこといっしょに。どっちがにゃんこで、どっちがうんこか、わからなくなるくらい、ハードに。

ハイをとおりこして、うんことじゃれあっているのかなって。うんこがおもちゃにでも見えちゃってるのかなって… ううん、引っ越したばかりの新築マンションがくそまみれにされていくなんて、幻覚を見ているのは、きっと私のほう。いますぐ、この悪夢から逃げだしたくて。

教訓、その一。悪夢から逃げても、うんこから逃げるな。

髪の毛と干し柿

なにが起こっているのか、私にだってわからなかったのだから。猫になんてわかるはずがない。まさか、髪の毛をのみこんでしまっただなんて。胃袋で消化されずに、腸のなかでうんこがつながってしまったことだって。それをだしきれなくて、尻からうんこがぶらさがってしまったことだって。干し柿みたいに。

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逃げても逃げても、うんこが追いかけてくるんだから。悪夢だったのは、私よりもきっと彼女のほう。うんこを振り切ろうとして、壁や家具にうんこをうちつけたり、床に尻の穴をこすりつけたりしながら、うえもしたもわからなくなるくらいに、宙を舞っていたのだから。なんてかわいそう。

誤飲のなかでも、猫の食指がうごきやすく、とくに危険とされているのが、”紐や糸”。もちろん、髪の毛も。肛門から排出できればよいけれど、腸壁にはりついたままになると、命にかかわるような重症化の原因にも。

教訓、その二。猫の主たるもの、日々の掃除を怠るべからず。

尻の一縷

もうどっちがにゃんこで、どっちがうんこでもいいから。とりあえず、はやく終わって。その一心で。

想像を絶する光景をまのあたりにしたとき、人は意外と冷静なものだ。彼女の尻を尻目に、私は粛々と掃除の支度をはじめていた。わたしまで取り乱したり、まさか捕まえようとしたりして猫を刺激すれば、二次糞害、三次糞害をまねきかねない。あれだけの量のうんこを、たった一本でつなぎとめている髪の毛だって、きっとそうながくはもたないはず。一本の髪の毛に、もじどおり”一縷”の望みをかけ、私はウンを天にまかせた。

はげしくこすりつけられたうんこは、黒板をはしるチョークみたいに、みるみる小さくなっていった。尻にぶらさがっていたうんこのほとんどは、いったいどこへいってしまったの。言い方を変えれば、どこに”保存”されたのかということだけれど。白い床、白い壁、あたらしいソファ、糊のきいたベッドカバー… ううん、世の中には、解かないほうがいい謎だってある。

すべてが曖昧で、不確かなこの世界にあって、その瞬間、ひとつだけ確かなことがあったとするのなら、彼女も私も、まえにすすもうとしていたということだ。うしろを振り返ったって、うんこしか残されていないのだから。

教訓、その三。まえに進むためには、なにかを置いていかなければならない。

もしも、あなたがわたしなら

そして、うんこは分離した。

生”実”でこの世にほうりだされ、ペプチドの鎖でつながれたまま、ふりまわされ、ひきずられ、たたきつけられ、朽ち果てていく、うんこたち。そこらじゅうに散らばったそれらが、なんとなく憐れで。

あるいは、このものがたりは、尻にうんこをぶらさげた子猫に家のなかをくそまみれにされた、新米飼い主の不ウンのそれであり、髪の毛をのみこんで腹のなかでうんこがつながってしまった、子猫の悲ウンのそれでもあり、もじどおりその髪の毛に”まきこまれ”た、うんこの数奇なウン命のものがたりでもあるのかなって。

教訓、その五。うんこの身にもなってみろ。

風呂場の馬鹿力

うんこはともかく、問題はにゃんこのほう。これはもう、拭いてどうこうって感じじゃないなって。うんこまみれのにゃんこでも、にゃんこまみれのうんこでも、うんこはうんこ。とりあえず、水で流さなくちゃ。

さいごのうんこの分離をみとどけ、本棚に刺さって身動きがとれなくなっていた芋と、尻の髪の毛をひっこぬいて、そのまま浴室へランデブー。

はじめてのシャンプー。子猫にとっては通過儀礼。ある意味、洗礼。主にとっては、ただの”修羅場”。子猫とはいえ、火事場ならぬ、風呂場の馬鹿力には、腕が何本あっても足りやしないてなもん。ぬいぐるみでも洗うくらいのかるいきもちで、猫に水をかけた阿修羅たちの痛々しい腕を、なんど見てきたことか。もし、猫の取扱説明書をつくるなら、お手入れのページのはじめには、こう書かなければならない。

”不必要な水洗いはしないでください。怪我の原因になります。”

蛇口の水に、じぶんからあたまをつっこむ、おかしな猫もいる。でも、ずぶ濡れになると話は別。猫は、水そのものではなく、”体温が下がること”に本能的な恐怖を感じるようにできている。もともと、砂漠のいきものだから。猫の被毛は、”濡れやすく、乾きにくい”。たとえば、ずぶ濡れの毛布を着せられ、夜の砂漠にほうりだされたらとおもうと、猫じゃなくたって死しか感じない。

いまとなっては、水洗い以外の方法もおもいつくけれど。新米飼い主の無知で、ひどいことをしてしまった。ただでさえ、うんこで鞭打たれ、傷がこびりついたであろう、そのからだに。

教訓、その六。”猫 シャンプー 不必要”で、オーケイグーグル。

モノがたりは終わらない

教訓、その七。猫は、ぬいぐるみに非ず。

もう、うんこのことなんてどうでもよかった。腕の傷から滲みだす、血の混じった水で芋を清めているうちに、なんだか、通過儀礼でも終えたかのような神聖なきもちになってきて。猫は猫であるまえに、なまみの動物なんだって。洗礼を受けたのは、私のほう。

以来、彼女とうんこのエピソードは、枚挙に暇ない。靴のなかにうんこが入っていたり、キッチンのシンクの排水溝にうんこが詰まっていたり、素手でわしづかみしてしまったこともある。

いつからか、彼女はモノをトイレにしなくなり、私は彼女のモノをひろいあつめるのが日課になり、やがて、おたがいにそのことに違和感をおぼえなくなるくらい、ふたりの感覚は麻痺していくのだけれど。そして、モノがたりは、”トイレが消えた日”へとつづいていくのだ。

風呂場で浴びたあの黄色い液体は、きっと聖水。ひっかき傷が、すっごいひりひりした。